伊藤レポート再考 上場株式投資とイノベーション | QuestHub Insights

伊藤レポート再考 上場株式投資とイノベーション

はじめに

伊藤レポート(「持続的成長への競争力とインセンティブ~企業と投資家の望ましい関係構築~」プロジェクト 最終報告書)が公表されたのは2014年8月、もう5年以上前になります。公表後は主に上場企業経営者に資本効率意識を求めるメッセージ(8%を上回るROEの達成にコミットすべき)に注目が集まり、株式市場でも話題になりました。それにとどまらず、実際に経営者、運用会社、アセットオーナー(年金基金)等の行動にも変化をもたらしていると感じています。
ROE8%超という分かりやすく刺激的なメッセージの一方で、実はレポートの内容はかなり網羅的で、一読しても全体像が見えにくくなっています。これは、「この問題が解決すればすべてがうまくいく」という単純化したアプローチではなく、「資本市場でつながっている全員がそれぞれ課題を抱えており、全員が変わっていかないと目指すもの(持続的成長)は実現できない」というより本質的な内容になっているからだと考えます。
今回は、5年たっても色あせていない伊藤レポートの(分かりにくい)メッセージを、一長期投資家のフィルターを通してまとめた上で、あまり株式市場参加者の間で意識されていない論点や(特に機関投資家にとっての)課題等について私なりの考えを共有できればと思っています。

伊藤レポートの概要(意訳)

この図は、伊藤レポートの多岐にわたる内容について、その構造を大まかにまとめたものです。まず、それぞれについて概略を説明します。

目的

持続的成長が株主と経営者の共通の目的だと説明されています。ここでいう持続的成長とは、中長期的な企業価値が継続的に高まっていくことと定義されています。

持続的成長のための重要要素

その上で、持続的成長のためには①経営力を高めることと、②継続的イノベーションの実現が重要だという認識が続きます。経営力の包括的な定義はありませんが、構成要素としては、経営者のリーダーシップ、目的を達成するマネジメントシステム(ガバナンス)、資本効率も念頭に置いた経営戦略・計画等が挙げられています。

課題認識

日本で持続的成長が実現されてこなかった背景にある課題についての認識が示されています。そのうち、経営力については、大きく3点、①経営規律が緩い・欠けていること、②社外取締役等による経営者へのガバナンス(分かりやすく言うと、経営者が企業の目的から逸脱しないことを担保する監視等の仕組み)が効いていないこと、③経営者の時間軸やインセンティブ設計が持続的成長と整合的でない(例: 任期が短い、何らかの改革や新しいことを始めても報酬面で大きなメリットがない)こと、が課題だという認識が示されます。
持続的イノベーションについては、経営力の課題に加えて、安定性や継続性が重視されること等でリスクを取った挑戦が不足していることが課題だという見方が記載されています(新規性の高いことは、事前に上手くいくかどうかわからず、リスクが高い)。

課題に際する対策

冒頭で述べた通り、「8%を上回るROEの達成にコミットすべき」というのが伊藤レポートの最もインパクトのあるメッセージでしたが、これは経営規律の緩さという課題認識への対策として主に打ち出されたものです。
経営者へのガバナンスについては、経営者と投資家の対話が重要であるとしています。それによって、(i)経営者は投資家の理解と支持を得て長期的・持続的成長への原資を確保・資本コストを低減でき、(ii)投資家は顧客利益大化の観点から投資先企業の企業価値向上や持続的成長に貢献できる、としています。

対策を実践する上の障害

企業と投資家が建設的な対話を行う上での障害については、かなりのページ数を割いて記載されています。まず、①機関投資家が短期主義となっていること、それゆえに対話をする実力が不足していることが挙げられています(短期主義の背景には、運用会社経営陣や社員等の投資家のインセンティブ構造、年金基金等の運用会社への資金の出し手であるアセットオーナーの体制、セルサイド・アナリストの役割・インセンティブ構造等が影響しているとの説明があります)。
次に、②企業と投資家の間の意識・認識の相違が言及されています(企業は投資家が中長期の取り組みに関心が無いこと等を嘆き、投資家は企業の実行力の低さやガバナンスの弱さを批判するという、他責的な状況が記されてる)。
対話に適した情報開示については、③非財務情報(ビジョン、イノベーション活動、ESG情報等)も含めた企業の現状や将来の価値創造に向けたプロセスを説明するための報告が必要であるとされています。

何が伝わりにくいのか

以上が伊藤レポートにいての私なりのまとめになります。この内容のうち、個人的にあまり伝わっていないと思う部分があります。それは、「持続的成長には継続的イノベーションが必要である」、という部分です。これはROE8%という刺激的なメッセージを打ち出した副作用かもしれません。資本コストを意識した経営がなされれば、資本効率や収益性の改善にはつながりやすく、日本企業の底上げにはつながるでしょう。しかし、それは必ずしも持続的成長にはつながりません。もっと言うと、資本コストを軸にした経営規律が、企業の継続的イノベーション創出の足かせになる可能性もあるのです。必ずしもメッセージが的確に伝わっていないという問題意識もあってか、2017年に出された伊藤レポート2.0においては、イノベーションがより前に押し出されているように見えます。

イノベーションと株式市場の関係

イノベーションはスタートアップが牽引役という印象が強く、イノベーションと株式市場と言われても、ピンと来ないかもしれません。しかし、日本の持続的成長のためには、上場企業がよりイノベーションを生みだせるようになることは非常に重要です。
ここで、少しだけイノベーション自体について補足させてください。イノベーションにつながる新規性が高い試みには、経済合理性に基づく意思決定(儲かるか?)よりも、ケインズがアニマルスピリッツと呼んだ、信念(やりたい、やらねばならない)、自信(できる)、楽観的期待(何とかなる)等に基づく意思決定の方が重要だと言われています。つまり、上手くいくか分からないけどやってみたい、やらずにはいられないという一見不合理な要素が必要なのです。もちろんアニマルスピリッツだけではダメで、当然規律も必要なのですが、規律が効きすぎると、相対的に短い時間軸のリスク・リターンに基づく意思決定が重視されやすく、アニマルスピリッツが発揮される可能性が低くなります。
翻って、上場株の機関投資家は、企業のアニマルスピリッツに対して共感を示し、応援できているでしょうか。これは私自身の反省でもありますが、相当な改善努力が必要なのではないかと考えます。これはある経営者の方の受け売りですが、失敗しても挑戦している人をかっこいと思える人は、自分が挑戦している人だと思うのです。私も含めた上場株の投資家は、もしかすると挑戦から最も遠い立場にいるかもしれないと自分を振り返ることが必要ではないでしょうか。
投資家はその立場上、最終的に企業・経営者を評価し判断することは必要です。しかし企業との対話において、評価・判断する姿勢が先に来ることは、経営者や社員のアニマルスピリッツを阻害してしまいかねないのです。まずは共感をベースに企業と対話し、応援しつつ有益な示唆出しもできる投資家が、一つの理想像ではないかと思います。

残された論点

上の図の通り、主な課題のうち、経営者の時間軸とインセンティブ設計、リスクテイクの2つについては、議論はされつつも具体的な対策は示されていないように思います。また、経営者と投資家の対話における投資家側の問題(短期主義と対話の実力不足)にはより切り込みうるように思います。ここでは、この3つについての対策を考えてみたいと思います。

経営者の時間軸とインセンティブ設計

前提として、人の思考と行動は、意識的・無意識的にインセンティブ設計の影響を大きく受けると私は考えます(何気なくやっていることがインセンティブ設計に沿ったものだったりします)。伊藤レポートでは言及はありませんが、一部の企業の実行力の低さ、経営規律の緩さ、リスクテイクの不十分といった課題も、実は様々な制約条件とインセンティブ設計の下での最適解なのかもしれません(例えば、一定儲かっている企業で、社会として雇用の流動性がなく、OBの影響力が強く、新規施策の成果が任期中には現れず、報酬は大部分が固定であったら、安定を求めるのは合理的)。
これは過激な意見ですが、社外取締役の再任議案については、取締役会等において役員任期の方針と報酬設計について定期的に議論することを賛成の条件にする議決権行使方針があっても良いかもしれません(あるべき任期とそれに基づく報酬設計が定期的に検討されていないのであれば、社外取締役が指摘すべきとの考えに基づく)。

企業によるリスクテイク

これについては、インセンティブ設計以外では単純な対策はありません。リスクテイクの方針には、経営者、幹部、社員の意識やカルチャーがかかわってくるからです。伊藤先生がある寄稿で起業について、「志高く挑戦した人の心意気を是とする称賛の文化を創造すべき」だと書かれています。これは企業におけるリスクテイクのためにも必要なことだと考えます。投資家がアニマルスピリッツに共感することで経営者の意識やコミュニケーションが変わり、経営者が変わることで社内の意識や仕組みが変わる、そんな連鎖が期待されます。

投資家の短期主義及び対話の実力不足

既にGPIFはアナリスト、ファンドマネジャーの報酬体系の変更に働きかけをしています。それ以外の対応としては、投資家に対する企業からのフィードバックの仕組みを作ることが有益ではないかと考えます。企業は株価や株主構成の変化という形で投資家からのフィードバックを得ます。一方、アナリスト、ファンドマネジャーは運用パフォーマンスとしての評価はあるものの、その対話の姿勢や質についてフィードバックを得る仕組みがありません。健全なインベストメントチェーンを育むためには双方向の建設的な評価の仕組みを作り、それがアナリストやファンドマネジャーの人事評価に反映されたり、ファンドの新たな評価軸になったりすることで、「持続的成長のために自らが変わること」が自分事化することが不可欠ではないかと考えます。

最後に

私たちR Financial Investmentは、「社会の発展に寄与する上場株式投資を実践し続ける」、をミッションに投資会社として事業を行っています。この文章を読んでくださっているあなたにとって、上場株式投資が社会の発展に寄与する、というのは違和感なくスッと納得できるものでしょうか?私自身は、株式の取引を行う市場が社会に必要なことに異論はありません。しかし、正直に言って今の上場株式投資のあり方が将来の社会の持続的な発展に寄与しているのか、自信をもってYesと言うことは難しいと感じています。だからこそ、社会の発展に寄与する上場株式投資のあり方を試行錯誤しながら形作り、広めることは、私たちのミッションだと考えています。この文章は、その一環として、上場株式投資の持つ力を社会の発展により良く活かす道筋についての仮説を、多くの同志と共有できたらと思い書いたものです。お読みいただいた感想やフィードバック等を頂けたら大変有難いです。

参考文献

  • 「持続的成長への競争力とインセンティブ ~企業と投資家の望ましい関係構築~」プロジェクト(伊藤レポート) 最終報告書
  • 【インタビュー】企業も投資家を選ぶ時代 「伊藤レポート」の真意とは ダイヤモンド社
  • 清水洋 『野生化するイノベーション』 新潮社
  • 伊藤邦雄 『ベンチャー精神を発揚するための大命題』 VENTURE REVIEW
    • コメント: 0

    関連記事

    1. 不祥事に揺れるレオパレス21、それでも潰れない「底力」

    2. ソースネクスト、AI翻訳機”ポケトーク”ヒットで躍進も息切れ懸念

    3. アサヒG、1.2兆円豪ビール買収を発表 日本の大型買収の「相場観」を点…

    4. 「機関投資家が連帯すれば、企業の持ち合いは解消できる」ニコラス・ベネシ…

    5. ドラッグストア業界再編、ココカラはなぜ “モテる” のか

    6. 「黒船」DAZNはJリーグを変えるか?

    コメント

    • コメント (0)

    • トラックバックは利用できません。

    1. この記事へのコメントはありません。

    1. この記事へのトラックバックはありません。

    このエントリーをはてなブックマークに追加